1人アドベントカレンダー閉幕
おわり
1人アドベントカレンダー、おわりである。毎回おわりでおわっていたので、おわりではじまっておわる回があってもいいと思うんだ。
いやー、ときどきツイッターぼやいてたが、今回はホントにツラかった(笑)
去年は11月中に書く/書けるテーマを10個以上ストックした状態で始めていたが、今年は完全にノープランだったからだ(そもそも最初はやるつもりがなかった)。
1日目のアドベントカレンダー書いたノリと勢いで始めるにしてはクリスマスまで25日はマジ遠すぎるし、書き手の負荷が高すぎるッ!
前回やったときは15日くらいまでが大変であとはスルスルと短時間でアイデアと文章が出てくるようになってきた印象だったが、今回は15日くらいまでもちろん大変で15日以降はもっともっと大変だった。
15日目くらいから毎日「もう、なんも出んぞ。我凡人ぞ、一片のアイデアも湧かんぞ」というスッカラカン状態から、ときにじゆうちょうアドベントカレンダー側の記事にアイデア(oka さんの「ポッドキャストで振り返る2020」とか)をもらったり
ときに己の過去の活動の焼き直しや振り返れる限りのテーマをことごとく振り返ってみたりして(「2020年の……」というタイトルが多かったのはそのためである)
一日また一日と何もないんですよ状態から蜘蛛の糸を見つけて地上へ出よう手繰り寄せて、そしてまた何もないんですよ状態へ進めていくような、そんな感じだった。
じゆうちょうアドベントカレンダーと並走していてツラかったのは、1日1日とても練られた良い記事が流れてくるのを横目にじぶんは毎日悪貨を量産していくような罪悪感とじぶんの中にもう少し書くべき題材のあるベストな状態で書きたい(のに書けない)と感じるジレンマと戦いながら出稿していく必要があったことである。
一番救われたのが最終日25日のまにーさんの記事である。
YoutubeやTwitterというのは本当に恐ろしいところでもあるな,と最近感じています.
私は子供の頃,オタク特有の知識やコレクションがアイデンティティーな時代がありました.
でも今はネットを見れば,自分の上位互換(雑な表現)のような存在が簡単に可視化されています.
自分よりも知識がある人,モノを持っている人,ちゃんと生きている人,そういう人がはっきりと見えてきてしまいます.
凄く優雅な生活をしている大学生Youtuberとかもたくさんいますしね.自分がもし子供の頃にこの環境に置かれていたら,これはきついんじゃないかな,と思ったりします.
もちろん,切磋琢磨して上を目指す反骨心に帰れればプラスにできますが,皆が皆そんな強くないでしょう.
だからこそ,マウンティングではなく,自分の好き,他人の好き,を大切にしていきたいなと思いました.
上記からは、どんなに推敲に推敲を重ねても(まにーさんの記事は内面深くまで己の好きと向き合って試行錯誤の上、練り上げられたものでこれはこれで素晴らしいものだが)じぶんのような凡人はきっと凡人なりのクオリティにしかならないだろう。それでもなお、じぶんの好き(記事)を全面に肯定していっていいんだという熱いエールとして受け取った。
結果的に、こうして1人アドベントカレンダーを書ききったことで、己の限界と底の浅さと才能のなさに向き合いながら、それでもなお自分の書いたものを赦し肯定し愛し、一歩また一歩前へ進んでいくことの大切さに気づかせてもらった(まにーさんに感謝)
本名さんの年に一度の謎の文才がほとばしる神記事を拝読し、みんなが感じたものと同様にじぶんも深く感動したので、当然のごとく100回再生した「世界には愛しかない」を貼ることで、最後の〆としたい。
そう、世界には愛しかないのだから。